<ボンボンな人>




人間は生まれ育った環境によって性格と言いますか、人格が作られるところがあります。お金持ちの家に生まれた人はお金に困ったことがありませんから、どことなく「余裕がある」雰囲気を醸し出しています。いわゆるボンボン気質というものですが、ボンボン気質の人は「お金を使うこと」にこだわらないのが特徴のようです。
僕が2店目に異動した店舗にはそのボンボンのような人が二人いました。ひとりは35才で平社員のままだったSさんと、あと一人は27才で主任になっていたMさんでした。Sさんが35才であるにも関わらず昇進していないのは社内でも珍しいそうで、一般的には入社して遅くとも3年経つと主任に昇進しているのが普通だったようです。その社内の通例に反してSさんが平社員のままだったのは昇進試験を「受けなかった」からです。
昇進試験を受けなった理由は、「昇進に関心がないから」という噂を耳にしましたが、本当のところはわかりません。普通は、誰でもある程度は出世欲というのがありますし、世間体もありますから主任くらいの役職には就きたいと思うものです。それを拒んでいるのですからいわゆる「変わり者」ということになります。
「変わり者」であることは間違いありませんが、だからと言って性格的に問題があるというわけでもありませんでした。Sさんは紳士服売り場の担当でしたが、洋服のセンスも悪くはありませんでしたし、履いている靴もおしゃれで、その組み合わせやバランスも紳士服売り場の販売員にふさわしい感性がありました。仕事もガツガツとすることはありませんでしたが、そつなくこなしていました。
僕が入社してまだ2年目という新人だったことが理由なのかわかりませんが、Sさんは僕に目をかけてくれていました。僕は部門が異なる衣料品の担当でしたが、僕がSさんの近くを通るたびに二言三言話しかけてくれていました。
ある日、僕の足元を見たSさんは「俺の履かなくなった靴あげようか」と話しかけてきました。僕の革靴が貧相に見えたのが理由なのかわかりませんが、僕は喜んで「もらう」ことにしました。当時、アパートで一人暮らしをしていた僕は衣服にお金をかける余裕がありませんでしたのでとてもうれしい申し出でした。もしかしたら、日ごろから僕が「生活が大変」と話していたので僕を支援する意図があったのかもしれません。
翌日、Sさんは僕に革靴を持ってきてくれたのですが、なんとブランド物でしかもほとんど履いた形跡がない状態のものでした。そのうえきれいな箱に入った状態でくれたのです。どう見ても「新品に近い」状態でした。「履かなくなった」理由は「せっかく買ったのにサイズが合わなった」というものでしたが、もしかしたら僕の惨状を見かねて譲ってくれたのかもしれません。真相は芥川龍之介ですが、状況証拠からしますと「いい人」ということになります。
同じボンボン気質のM主任は僕の麻雀仲間でした。年齢も下で役職も下である僕が「仲間」と言うのは失礼ですが、正しくは僕の直属の上司であるK主任の麻雀仲間で、僕もその一員ということになります。雀卓を一緒に囲んでいますと、いろいろな話をすることになります。一般的には「打ち方」でその人の性格がわかると言いますが、僕はそれほど麻雀に凝っているわけでも強いわけでもありません。ですので打ち方ではわかりませんが、一緒にいる時間が長くなりますのでその意味で性格を知ることになります。
M主任はボンボン気質であると同時に自信家でもありました。それを示す例として、僕のことを気に入ってくれていて麻雀をやっているときに「いつか、俺が引っ張るから」と事あるごとに話していました。「引っ張る」とは「引き上げる」という意味ですが、そのためには自分自身が出世している必要があります。出世するのは当然と考えているようでした。
M主任はすでにお子さんがいたのですが、車も8人乗りのワゴン車を所有していました。本来ですと、僕の会社の主任クラスのお給料で家族を養い、そのうえ高級車に属するワゴン車を持つことは不可能です。それを可能にしているのは「実家がお金持ち」ということに尽きます。そのことについては本人自身が認めていましたが、その話しぶりが嫌味でないところがボンボンたるところです。
僕はその後退職していますのでM主任の会社員人生を知る由もありませんが、会社が買収されていることを考えますと、おそらく退職して親の口添えで他社に移っているように思います。今の世の中は「お金持ちは、よりお金持ちに。そして、貧乏人は、より貧乏人」になるような社会システムになっていると言われますが、当時からそうしたシステムは存在していたように思います。
M主任の自信の裏にあったのもそういう「最悪でも親の勤める、もしくは勧める会社で働ける」という裏付けがあったのかもしれません。人間は生活の不安がありませんと、精神的に落ち着いていられます。M主任の人生が実家の興亡と密接に絡んでいるのは間違いのないところですが、資産家は余程のことがない限り資産家のままでいられるのが現実です。M主任が出世を考えていた会社はのちに買収され消滅しているのですが、M主任がどのようなビジネス人生を送ったのか気になるところです。







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