<僕の恩師>




昨年は母が他界しましたので今年の年賀状は欠礼しましたが、喪中のはがきを作成するときに、たまたま見かけた高校時代の恩師の年賀状に目が止まりました。僕の高校時代はバレーボールに明け暮れた日々でしたが、その顧問をしていたのがササキ先生でした。

しかし、顧問とはいえ、ササキ先生がバレー部の顧問になったのは僕が3年生になったときからです。僕の高校は公立でしたので、定期異動があったため以前の顧問と入れ替わりでやってきた先生でした。高校は3年生になりますと、夏前には部活動は引退することになっています。ですから、僕たち3年生が直接ササキ先生と接したのは、わずか3ヵ月くらいということになります。

僕の高校バレー部はその地区では強豪チームと言われていましたが、そのチームを作ったのはササキ先生の前の顧問です。前の顧問はクワモリ先生というロボットのような筋肉隆々の体格をした20代後半の先生でした。

同じ体育の科目を受け持った関係から、ササキ先生がバレー部の顧問を継いだものと思われます。就任した日に、バレー部の3年生に校内放送で集合がかけられました。当時、3年生は5人しかいませんでしたが、5人揃ってササキ先生のところに行きますと、これから顧問になることを告げられました。

ササキ先生は40代半ばで2分刈りの頭髪で均整のとれた体格をしていました。後日わかるのですが、ササキ先生は体操が専門で、大学でも講師として教えているようでした。僕たち3年生は、土日にバレー部の練習が終わったあと、いつもラーメン屋さんに食べに行っていたのですが、僕はそこの店主に似ていると思っていました。

それはさておき、3年生の部活動は残りわずか3ヵ月ほどしかないわけですし、僕たち3年生中心のチームを作ったのは前の顧問の先生です。ですから、考えようによってはそれほど3年生に気を使うというか、親密になる必要もないとも言えなくもありません。

ですが、ササキ先生はわざわざ3年生5人を集めて顧問就任の挨拶をしたのです。ササキ先生に対する信頼感が芽生えたのは僕だけではなかったはずです。ササキ先生からは「残り少ない部活動を有意義なものにしてあげよう」という意図を感じることができました。

本来のササキ先生の得意スポーツは体操でしたので、休憩時間に体育館の隅で片手倒立をする姿を見たことが幾度かあります。バレーボールについてはほとんど知らなかったはずですが、たとえ日曜日であろうとも試合には必ず監督として出てくれていました。

もちろんバレーボールは専門外ですので、的確なアドバイスなどはできませんが、それでも試合の流れに応じてタイムをとったりなどいろいろとサポートしてくれました。

ササキ先生との思い出として、ある日の体育の授業があります。僕は当時バレーボールの練習に明け暮れていましたので、胸板は厚く腹筋も6つに割れており、上腕二頭筋も隆々としていました。ですので、ある程度力自慢でもあったのですが、井の中の蛙を思い知らされることがありました。

ある日の体育の授業で逆立ちをする機会がありました。ササキ先生は模範演技の相手に僕を指名したのですが、先生に言われるままに先生が僕の両足首を持つ形で逆立ちをしました。すると、先生は僕に「そのまま腕を曲げて、はい、腕を伸ばして」と言うのです。周りで見ていた生徒は「おお~」などとはやし立てていましたが、そのとき僕は生まれて初めて、逆立ちをしたまま腕立て伏せをする経験をしました。

これが実に驚きで、全くできなかったのです。腕を曲げるまではできたのですが、曲げた状態から伸ばすことができず、先生が僕の足首を上に持ち上げてくれてようやく腕を伸ばしきることができました。もちろん逆立ちはしたことがありましたが、その姿勢のまま腕立て伏せをする、という発想がありませんでしたので、とても驚きで強く印象に残っています。

先生は授業が終わったあとに「あそこまで上げられるのは、すごいよ」と褒めてくれたのですが、あの経験をしたことで、片手で逆立ちをしていたササキ先生の凄さを思い知りました。

ササキ先生は、僕が唯一年賀状のやり取りをしていた先生ですが、7~8年ほど前に年齢を理由に年賀状のやり取りもしなくなりました。

存命であるなら90才を超えているのですが…。僕が印象に残っている先生の一人です。

また、来週。







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