<昔の中学の先生たち>




僕が通っていた中学には有名作家の息子と言われていた英語のタヤマ先生がいました。当時すでに60代だったように覚えていますが、なにぶん中学生でしたので、僕の思い違いで実際はもっとわかかったのかもしれません。60代はとうに定年退職を過ぎている年齢ですから…。

ですが、顔の皺や頭髪の少なさ具合からしますと、やはり「年寄り」のイメージを拭い去ることができない印象でした。そのような年をとった先生が英語を教えていたのですが、おそらく発音とか教え方は「素人の域」を出なかったのはないでしょうか。

先生を評価する術など持ち合わせていない中学生でしたので、英語の先生としての実力はわかりません。ですが、そのような人が英語を教えていたことが、当時の学校の雰囲気を映し出しているように思います。要は、のどかでのんびりとしていました。

タヤマ先生はとても痩せておりスラックスにジャケットを着ていましたが、ネクタイはせずにループタイをつけていました。まだ省エネなど言われていない時代ですので、ほかの先生方はネクタイを締めていましたのでループタイがやけに目立っていました。それを可能にしたのは、ほかの先生よりも年長だったからのように思います。

今は非正規の先生が問題になっていますが、僕が中学生時代も非正規の先生はいました。しかし、一学校に一人か二人くらいだったように思います。僕の学校には音楽のホサカ先生と技術家庭のヒエダ先生という2人の先生がいました。つまり、専門的な教科の先生だけが非正規だったことになります。本来は、これが理想の非正規のあり方のように思います。

音楽のホサカ先生は女の先生でしたが、「よく泣く」ことで有名な先生でした。なぜ「泣く」かと言いますと、生徒が言うことを聞かないからです。特に、やんちゃなオオイシ君には手を焼いていました。

ホサカ先生がピアノを弾いて生徒に歌わせているときに、オオイシ君は勝手なことをやるのです。いくら注意をしても聞かないので、途中からホサカ先生は「泣き」だすのがいつものパターンでした。これが1年間続くのですから、のどかな学校生活でした。

技術家庭のヒエダ先生は技術を担当していました。体格がよく黒縁の眼鏡をかけていました。僕のイメージでは「学生運動に没頭して正規の先生になりそこねた」感じです。もちろん当時はそんなことは思いもよりませんが、自分が後年思い返してみますと、そんな感じです。それくらい、当時非正規の教師というは「変わった経歴の人」がなる立場でした。

ヒエダ先生の言葉で印象に残っているのは「英語では『あなた』は『you』しかない」という言葉です。相手が子供であろうが、大人であろうが、大統領であろうが『あなた』は『you』だとヒエダ先生は話していました。

このときの言葉が、僕に「ヒエダ先生は学生運動に没頭」と思わせたのです。相手によって言動を変える人に対して敏感に反応する性格の持ち主のようでした。

あるときヒエダ先生は「今度の日曜に俺のうちにみんなで遊びに来い」と言いました。クラスの全員ではありませんでしたが、10人くらいで遊びに行くことになりました。先生の家はアパートでしたので10人も入ると満杯になる広さでした。それでも、先生はお菓子やジュースを用意しておいてくれてみんなで楽しく時間を過ごしました。

帰りの電車に乗るとき、僕たちが切符を買って改札口に入るとヒエダ先生は「じゃぁな、気を付けて」と手を振りました。僕たちがホームに行きますと、うしろから先生の声が聞こえました。すると、驚くべきことに先生は道路側の塀をよじ登りホーム内に入って来たのです。先生にあるまじき行動です。

先生は両手をパンパンとたたき手のひらについた泥をはたくとニコッと笑い「気を付けてな」と言いました。それからしばらくして、電車が入ってきて、僕たちは乗り込んだのですが、先生は僕たちが見えなくなるまで手を振っていました。

まるでドラマの一場面を見ているようでした。

そんなことが可能なのどかな時代でした。

また来週。







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