<クロヌマ先生>




学校の先生という職業が「働き方改革」でいろいろと物議を醸していますが、先生という職業の実態が今一つ見えていない気がします。マスコミなどで大きく報じられるのは「サービス残業が多い」とか「無駄な事務作業が増えている」など先生を擁護する内容ですが、その反対に「体罰や生徒対応において手抜きをしている」などという批判的な報道もあります。

学校の先生に関して記憶に残っている新聞投稿があります。その投稿は「元校長」の肩書の主でしたが、「先生方の事務作業の非効率化を非難する論調」で一貫していました。例えば、「机周りの整理整頓ができていない」という基本的なことからはじまり、「仕事の順番の決め方、割り振りが下手である」とか「報告のやり方がなっていない」などでした。それらを改善するなら、労働時間も減らせるという主張でした。

それとは別に記憶残っているドキュメント番組もあります。それは小学校の校長の1日を密着した内容でしたが、校長という仕事の具体的な内容を紹介していました。その中で記憶に残っている場面は、40才前後の男性教師が校長に反抗している映像です。

教師が全員集まっている会議中に隣の部屋で電話鳴ったとき、その男性教師が会議を抜け出そうとした場面です。校長が「事務の方が出ますので、電話には出ないで構いません」と言ったところ、怒りを含んだ言い方で「電話に出ないのは失礼にあたりますので、出ます」と食ってかかっていた場面です。教員の世界では上司と部下という概念はないようでした。

あれから僕も大人になり、いろいろな世界を知るようになってから教師の世界には労働組合と文部省の対立があること、また労働組合にも2つの組合あり対立していることなどを知りました。近年では、教育委員会も関係していますので現場はさらに複雑になっているようです。

そうした環境の中で、校長は上下関係を築こうとし、教師の側は校長と対等であろうとしているのですが、今回の教員間の「いじめ問題」に関して労働組合についてマスコミが取り上げないことに違和感を感じています。マスコミはややこしいことを避けているように感じます。

それはさておき、僕が子供のころの学校は、僕が子供だったこともあると思いますが、シンプルに学校だったように思います。もちろん「シンプルに学校」だったことには、いい面も悪い面もありますが、その中で昔の子供たちは育っていきました。ですから、運が良ければ楽しい学校生活を送れましたが、運が悪ければ最悪の学校生活を送ることになります。

今から振り返りますと、僕は全体的には「運がよかった」ほうに入ると思います。小学校時代、最初に記憶に残っている先生と言いますと、クロヌマ先生が思い出されます。僕は小学校2年生のときに転向しているのですが、そのときの転校先の先生でした。

30代半ばのとてもきれいな先生でした。子供心に「とても」がつくほどきれいだったのが印象に残っています。学校の先生の評価が難しいのは民間企業のように数字での評価ができないことです。営業の場合は売上げといった数字が出ますのでわかりやすいですが、教師は数字がでない業種です。

そのような仕事ですので教師は授業をしているとき以外は、自由な時間を過ごすことができます。その小学校にはいつもジャージ姿の40代半ばの男性教師がいました。体格もよくヒゲ面で名物教師だったのではないでしょうか。その先生に逆らう先生はいないようでした。

そのミヤザキ先生は、ことあるごとにクロヌマ先生が授業をしているときに、クラスにやってきました。そして、僕たちがテストなどをしていてクロヌマ先生に時間的余裕があるときにドアを開けて話しかけてきていたのです。

子供ながら「ミヤザキ先生はクロヌマ先生のこと、好きなんだな」と思った記憶があります。そのような先生がいられた昭和の時代でした。

でも、今思うと、セクハラだよな…。

また来週。







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする