<商才に長けていた人>




社会人になったばかりの僕は、社会の仕組みと言いますか構造をきちんと理解していませんでした。社会を知らないのですから当然ですが、社会人経験を積むに従い、あとから「ああ、あれはそうだったんだ」などと感心することが多々ありました。今週はそんな話。

僕が社会人のスタートを切ったのはスーパーです。当時でもスーパーという就職先はあまりエリートと言われる業種ではありませんでした。同じ流通業でも百貨店ですとランクが一つ上がります。スーパーと百貨店では、社会的評価は雲泥の差がありました。

そのスーパーに勤めていますと、テナントの人と親しくなることがあります。これは店舗の規模にもよりますが、大きな店舗では規模が大きすぎてスーパーの一従業員がテナントの人と出会うチャンスはほとんどありません。

反対に小規模の店舗ですと、建物自体にテナントが入るスペースがありませんので、テナントの人と出会うチャンスがありません。ですから、確率的に一番テナントの人と出会うチャンスが高いのは中規模の店舗ということになります。

僕が最初に勤務したお店は小規模で、2年目に異動になった先が中規模でした。そこで僕は呉服店のご主人と親しくなりました。ご主人と言いましても、歴とした法人でしたので肩書きは社長です。

その中規模店は1階のほとんどが化粧品などのテナントで構成されていました。店舗入口の手前には平台を数台並べるだけのスペースがありましたので、僕が担当していた衣料品がその場所でときたまセールを行っていました。

そうした関係で呉服店の社長と親しくなったのですが、当時社長は60代半ばから後半くらいの年齢でしょうか。当時、僕も若かったので人の年齢を予想するのがあまり得意ではありませんでした。

ですから、当時僕が一番嫌いな質問は、中年女性からの

「わたし、何歳に見える?」 でした。

それはともかく、呉服店の社長は、普段暇のようでお店の周りをただウロウロ歩き回っているだけでした。お店には奥様と中年女性のパートさんと年配の男性従業員がいましたのでやることがないのです。ですから、スーパーの若い女性店員をつかまえては

「バッグを買ってあげるから、一晩つき合わない?」

などと軽口をたたいていました。「一晩つき合った」かどうかは定かではありませんが、実際にバッグを買ってもらった女性はいました。おそろしや…。

この社長については、以前コラムで書いた記憶がありますので、簡単にこの社長の来歴を紹介します。この社長はある大手デパートの部長職まで務めていた方ですが、部長職に就いていた当時は取引業者の担当者から「独立してもサポートしますよ」と言われていたにもかかわらず、実際に独立をしたあとは見向きもされなくなった経験の持ち主でした。

そのような話を社会人2年目の僕に話してくれたのですが、今回書くのはもっと商売に関することです。実は、当時でさえ呉服業は斜陽産業と言われていました。着物を着る人がどんどん少なくなっていたのですから当然です。

そんな業界でもありながら、余裕がある商売をしていられたのはほかの収入源があったからです。この社長は僕が勤めていたチェーン店の女性従業員の成人式の着物一式を請け負う業者に指定されていました。スーパーの全女性従業員の成人式用の着物一式を請け負うのですからかなりの売上げです。そこに入り込めたことがすごいことです。

こうした話を聞けたのはお酒の席ですが、最初のうち社長は「女の子たちを寮から販売所まで送り迎えする」大変さを話していました。ですが、お酒が進むうちにそのシステムのカラクリについて口を滑らせるようになりました。

社長の話では、僕の勤めているチェーン店の役員の一人に知り合いがおり、その役員が「成人式の着物一式の請負業者」を決める権限を持っていたそうです。そこでその役員が社長の会社を指定したのですが、さらに凄いのは、催事関連の口座も管理していたことです。

わかりやすく説明しますと、催事というのはスーパーなどで見かける1週間単位で変わる売場の業者のことです。この催事は開催にあたり本部に利用代を払うわけですが、その窓口を社長の口座にしていたのです。ですから、社長は催事業者から振り込まれるお金を管理するだけで収入が受け取れることになります。

そうしたカラクリをあとから想像しますと、おそらくその役員と社長はグルになっていたものと思われます。役員は自らが収入を得るために社長を利用し、社長も口座管理をするだけで莫大な収入が得られるわけですから、それこそ「win win」の関係です。

これを「商才に長けている」と言わず、なんと言いましょう。もしかしたら、今の時代ですと法律にひっかかるかもしれませんが、当時は問題がなかったと思います。

この社長とは年賀状のやり取りをしていましたが、高級住宅街のさらに上をいく「超高級宅街」に住んでいたことからも、どれだけ儲かっていたかがわかるというものです。

世の中には、「自らが身体を動かさずとも、お金を稼ぐことができる仕事がある」と教えてくれた社長の話でした。

また来週。







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