<お肉屋さん>




これまでに問屋さん関連で出会った人を書いてきましたが、今回はお肉屋さんについて書こうと思います。ラーメン屋さんにお肉屋さんは、スープの出汁をとったりチャーシューを作ったりしますので欠かせない取引先です。

僕は開業当初はフランチャイズに加盟していましので、ほとんどの食材関係は本部の指定した問屋さんから仕入れていました。しかし、5年後にチェーンを脱退していますので、それからは自分で問屋さんを決めることになりました。その流れの中でお肉屋さんも自分で探すことになったのですが、いろいろ検討した結果、地元のお肉屋さんから仕入れることにしました。

最初はお肉も地元ではなくお肉の問屋さんからの仕入れを考えていたのですが、配達の曜日や回数または値段など総合的に考えますと、地元の普通のお肉屋さんから仕入れたほうが得策と思えたからです。お店の近所ですと、なにか急な仕入れが必要になったときに取りに行ったりもできますので安心です。

ラーメン店にお米は必須の食材ですが、チェーン店加盟時からお米は地元から仕入れていました。ですので、お米屋さんからいろいろな情報を集めてあるお肉屋さんに決めました。

そのお肉屋さんは50代半ばの父親と20代後半の息子さんが切り盛りをしていました。配達をしてくれたのは息子さんのほうで、当時僕は30代前半でしたので年齢的に近いこともあり、いろいろな話をするようになりました。

そのお店は地元の一族でお肉屋さんを営んでいるようで、本店が駅2つほど離れたところにあるそうです。つまり、僕が仕入れていたお店は支店という位置づけですが、本店をお兄さんが経営しており、弟さんが支店を経営していることになります。

親子でお店を営んでいるときによくあることですが、息子さんはたまに父親の愚痴を話していました。息子さん曰く、「昔のやり方から抜け切れないから経営的に大変」だそうです。言葉の端端から父親に対する不満を感じることができました。

そんな親子関係ですが、一度だけ息子さんが父親に感謝した出来事を話してくれました。

まるでテレビドラマのようですが、息子さんが高校時代にぐれたときに父親に胸倉をつかまれてボコボコにされたことがあったそうです。それがきっかけでお店を手伝うようになったのですが、一緒に働くようになりますと、そのときの感動もどこへやらストレスで「口喧嘩が絶えない」と話していました。

息子さんの話では、本店は規模も大きく従業員もそれなりにいて安定しているのですが、自分たちは1階を店舗にして2階に住んでいる状況なので安定とは程遠いそうです。

やはり、若いということは活力があることで、お肉屋さんは売上げを伸ばすために「お弁当の配達」を始めます。今でこそ、バイクでお弁当を配達する業者はたくさんいますが、当時はほとんどいませんでしたので先見の明があったことになります。

僕も気軽に「1つ500円で20軒配達したら1万円、すごい!」などと話していましたが、結局半年くらいで弁当の配達はやめています。どんなこともそうですが、外から思っているように簡単に儲かることはできません。

結局、その後そのお肉屋さんは廃業することになり、僕はほかの地元のお肉屋さんから仕入れるようになるのですが、そこのお肉屋さんは自己所有ビルの1階で営業しているお店でした。そのお店は駅前で代々続いているお肉屋さんですが、お父様はお亡くなりになり僕より少し年下の息子さんとお母様の二人で営んでいるお店でした。

駅からそれほど離れておらず、しかも大きいとは言えませんがビルを所有していますので、テナント収入もあります。先ほどのお肉屋さんよりは安定できる状況ですので現在も営業を続けています。

駅周りを見渡しますと、昔から代々続いている商店で現在も営業できているお店は、どこかの時点で勇気を出して建物を立て直しているお店です。先に紹介しましたお肉屋さんのように、代々引き継ぐ資産がないところはきついのが実状です。

いわんや「脱サラ商売」をや。

商店・商売は大変です。

また来週。







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