<資産家の次男坊>




保険の代理店の仕事は自由になる時間がある程度ありましたので、空いている時間にできる仕事はないかといろいろと探していました。そこで見つけたのが牛乳配達の仕事でした。12年~13年くらい前の頃です。短時間でそこそこの収入になりそうなのが魅力的でした。

早速、面接に行きますと人手不足のようですぐに採用されました。僕の牛乳配達のイメージとしては「早朝に配達」というものでしたので朝の4時くらいから仕事が始まるように思っていました。しかし、実際は早朝ではなく深夜1時から5時くらいまでの仕事でした。

僕はいろいろな職場で働いた経験がありますが、総じて言えることは「教える人の教え方がへたくそ」な場合が多いことでした。バイトとして働く業種ですので、つまりは非正規社員が従事する仕事ということになります。

このような仕事では、教える人も非正規社員ということがほとんどです。わざわざ正社員が教えるのでコスト的に合わないのが普通だからです。また、仕事の内容的にも「誰でもできること」ですので、「正社員が教えるまでもない」という発想が企業側にあっても当然です。

このように教える人が非正規社員ということは、「教える」という行為に対してそれほど真正面からとらえていないことでもあります。しかし、本当は「人に教えること」はとても難しいことで、しかも大変重労働なことでもあります。本来はそれなりの研修を受けたりなどするのが筋です。ですが、非正規社員が教えるという時点で「正しい教え方」という発想は捨てられています。

ですので、どの職場でも教える人がへたくそだったり、ぞんざいだったり、意地悪だったりするのが常でした。それでも「へたくそ」ならまだましなほうで、意地悪な教え方をする人もいました。もちろん多くはありませんでしたが、そのような人に当たったときは最悪です。

それまでの経験がありますので、最初の出会いの重要性は十分にわかっています。教える人の機嫌を損ねますと、その後の仕事がやりづらくなります。最初の出会いには、慎重に臨むことを肝に銘じていました。

さて、初日仕事場に着きますと、僕よりも少し若いくらいの男性が近づいてきました。そして、笑顔で「今日、一緒に回るKと言います。よろしくお願いします」と挨拶をしてきたのです。これは驚きでした。しかし、油断は禁物です。最初だけ人当たりがよくて、あとから本性を表す人もいるからです。

ところが、Kさんは最後まで接し方が優しく丁寧でした。しかも、教え方がうまいのです。仕事のコツと要領を実にわかりやすく説明してくれました。さらに、配達の途中で飲み物までごちそうしてくれました。感激でした。

僕はその後もいろいろな職場を経験しますが、このKさんの「教え方のうまさ」に勝る人はいませんでした。それほど「教え方がうまい人」でした。もちろん人間性も含めてです。教えるという立場は強い立場ですので、人間性がもろに出てきます。しかし反対に考えますと、これほど素晴らしい人がどうしてこのような仕事をしているのかに興味を持ちました。

僕の研修は4日ほどあったのですが、そのうちの2日はKさんでした。ですので、2日目は世間話もすることがあったのですが、Kさんは酒屋さんの次男坊ということでした。あまり根掘り葉掘り聞くのは失礼にあたりますので深くは聞きませんでしたが、聞いた範囲での僕の想像では、ご長男さんと意見の相違などがあり、バイトをしていたのではないでしょうか。

常識的に考えて、酒屋さんを継ぐのはご長男のはずです。ですから、Kさんは社長のご長男をサポートする役割を担うはずです。それほど重要な役割をするはずの人が深夜のバイトをしているのですから、よほどの事情があったのでしょう。結局、僕はこのバイトを約半年したのですが、その間に接していたKさんの好印象は最後まで変わりませんでした。

酒屋さんはその地域でそれなりの地主または資産家の人が営む業種です。僕がコロッケ屋を開業したときも、大家さんは地主の酒屋さんで土地をたくさん持っている人でした。地元では名士と言われていたようです。おそらくKさんのご実家も似たような資産家のはずです。

その資産家の次男が深夜の牛乳配達の仕事をしているのですから、地主という資産家でも親族間でいろいろな問題がありそうです。資産家に生まれた人の人生の難しさを考えさせたKさんでした。

また、来週。







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