<番外編>




本来、このコーナーはコロッケ屋さん時代に出会った人のことを書くコーナーですが、なぜか急に19才の頃に盲腸で入院したときに出会った競輪の人を書きたくなりました。なので今週は番外編として「入院したときに出会った心優しい競輪の選手」です。

当時僕は浪人中でしたが裕福とは言えない家庭でしたので新聞配達のアルバイトをしていました。そのバイト中に激しい腹痛に襲われたのですが、なんとか配り終わって家にたどり着いたあと、あまりの苦しさにモドしてしまいました。家には誰もいなかったのでそのときの不安な気持ちは今でも忘れません。

2~3時間後、父が帰って来てからすぐに病院に行きますと盲腸で即手術となりました。腹膜炎も起こしていましたので普通よりも長く入院することになりました。確か、1ヶ月ほどの入院だったように記憶しています。

病室は6人部屋でその中の一人が競輪の選手でした。30代半ばで身長も高くガタイも強そうで頑丈な体格をしていました。その人の入院理由は右肩かどこかの骨折でした。どちらの腕かは忘れてしまいましたが、首から腕を吊り下げている映像の頭の中に残っています。試合中に他の選手と接触し転倒して骨折したそうです。競輪はものすごいスピードで走りますので転倒したら骨折するのは当然です。

病室にはほかに学校の先生やサラリーマン、60才過ぎの経営者などがいましたが、全員いわゆる大人の人たちでした。そんな中での10代の僕でしたので競輪選手は僕にいろいろと構ってくれました。

その人は競輪選手ですのでお見舞いに来る人はやはり競輪選手ということになります。お見舞いに来たのは2~3人でしたが、全員若い人でした。その人の話では全員後輩ということでした。競輪というスポーツは若い肉体を持つ人が競う競技ですから当然ですが、皆さんすごい体つきの人ばかりでした。

その人の話では競輪は肉体的にかなり優れていないと就けない仕事だそうです。先にスポーツと書きましたが、単なるスポーツではなくプロスポーツです。野球やサッカーと同じようなプロスポーツです。ですから甘い気持ちではなれる職業ではありません。厳しい練習に耐えられる者だけが就ける仕事です。

ある20代前半の人がお見舞いに来たときは、その人が帰ったあとに「あいつ10代の頃、結構すごい暴走族だったんだよ」とあっけからんと教えてくれました。確かにすごいガタイはしていましたが、礼儀正しい青年に見えましたのでちょっと驚きました。

大人になってから知ったことですが、競輪選手になるような人はやはり普通に進学するような人ではなく、一癖も二癖もあるガタイのいい人が進む道のようでした。それくらい肝が据わってないと厳しい練習についていけないということもあるでしょうが、実力一つで結構な収入を得られる仕事であったことも関係しているようでした。

僕はごく普通の人生を歩むことしか考えていませんでしたので、競輪選手からしますと平凡な若い人にしか思えなかったはずです。それでもそんな様子をおくびにも出すことなく優しく接してくれていました。

僕がこの人のやさしさを一番感じたのは、実は退院してからです。

僕はおっちょこちょいなところがありますので、あとさき考えずに行動するところがあります。腹膜炎も完治して退院したあとかつて入院していた病室まで遊びに行ったことがあります。入院していたときに一緒だった人ばかりですので気楽な気持ちで病室に入ったのですが、入ってみんなに挨拶をしたあと、手持無沙汰になってしまったのです。あのときの空気は自分でも不思議でした。入院中でしたら、することがなかったならベッドの上に寝ころべばよいのですが、退院した人間が病室に入るとなにもすることがありません。ただ立ち尽くすことになってしまいます。

結局、やることがありませんし、かと言って特に話すこともありません。僕が困ったようにしていましたら、僕の気持ちに気づいた競輪選手が僕を招き寄せお茶をごちそうしながら近況を聞いてくれました。これでどうにかその場を持たせることができましたが、あのまま立ち尽くしていたら居たたまれなくなっていたでしょう。

大人になる少し前の印象に残る出来事でした。

また来週。







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