<仕切りたがる人>




いつの時代もどの集団にも「仕切りたがる」人や「自分が、自分が」と前面に出たがる人がいるものです。僕の入った野球部は僕が所属する班長さんがキャプテンを務めており、みんなをまとめていました。僕は新入りですのでキャプテンの性格を詳しく知っているわけではありませんでしたが、周りの人の接し方を見ていますと、それなりに人望があるような感じでした。年のころは45才くらいでしょうか。

会社により人事の構成はいろいろですが、僕の会社における班長さんというのはどのような立ち位置なのかと言いますと、現場で働いている乗務員を束ねる役職です。乗務員の一つ上の役職は主任です。主任は乗務員経験をある程度積んでいる人で成績もそこそこいい人が就ける役職です。

僕が初めて乗務員として働きだした日に同乗して指導してくれたのは僕の班の主任さんでした。確か主任になっている人は班に一人か二人くらいしかいなかったように思います。どのように教えてくれたかと言いますと、助手席に乗り「お客さんが手を上げたら左に寄せてドアを開けます」といったごくごく基本的なことです。お客さんの見つけ方などは教えてくれません。

しかし、もしかしたなら、僕は新人のくせに言動に生意気な印象を与えるところがありましたので嫌われたからかもしれません。道路に面した広い公園を通りがかったとき、主任が「みんなこういうところで休憩を取りながらやっていますよ」と言いました。そのとき「お給料をたくさん稼ぎたい」一心でタクシー乗務員になっていた僕はつい「でも、そんなことしたら成績上げられないですよね」と言ってしまいました。そのときに少し「ムッとした」表情になったのがわかりました。

結局、「僕の態度が生意気に思えたこと」が理由かはわかりませんが、昼の12時頃に会社に戻り、「じゃぁ、あとは一人で頑張って」と突き放されてしまいました。その後の悲惨な状況は前に書いたとおりです。

話が逸れてしまいましたので元に戻しますと、つまり、班長さんは下から数えて3番目の役職ということになります。ちなみに、班長さんの上には課長さんがいて部長さんがいてその上に役員、社長さんがいました。

初日に僕に指導してくれた主任さんも野球部の一員でしたので、その後は親しくしてもらいました。こういう意味においても野球部に入ったことは意義があったことになります。あの初日だけの印象で僕という人間を判断されたなら「ただの生意気で嫌味な若造」で終わっていたでしょう。

僕は生意気なところはありますが、基本的には運動部の考え方が身体にしみついています。それは自分より年長者を敬う精神です。運動部では学年が一つでも違えば神様でしたので年長者に対しては尊敬の念を持って接する性格になっていました。ですから、野球部では後片付けから荷物運びまで率先して行っていましたので、そうした行動は好印象を与えていたはずです。

僕のこうした考え方は「ゴマすり」とか「おべっかを使う」というよりも「敬う」という気持ちが一義にありますので一生抜けきれないと思っています。ですが、年齢を重ねるにつれて自分より年上の人よりも年下のほうが断然多くなっているのが気になるところではあります。

このような僕の性格を理解している年上の人の中は僕が一人で後片付けなどをしていますと、声をかけてくれたり手伝ってくれたりなど親切にしてくれる人もいました。ですが、中には僕のこの性格を「利用しよう」と企む輩もいます。

その人が僕が野球部で唯一距離を置いてつき合っていたHさんでした。

また来週。







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