<大阪から夜逃げをしてきた家族2>




社長の息子さんから「あの二人は親子なんですよ」と聞いた僕でしたが、すぐにその親子と親しくなったわけではありません。あのような「ワケアリ」の人が集まりところでは他人のことには詮索しないのが暗黙のルールです。社長の息子さんも僕から尋ねられたので話しただけでそれ以上のことを話すことはありませんでした。

その後、僕がその親子と接するようになったのは僕がラーメン店を開業したあとのことです。ラーメン店の開業の顛末を書いたテキストで書きましたようにお店で一番困ったのは人手です。手伝ってくれる人がいないことにはお店を回すことができませんので僕は手当たり次第に人手を探していました。

しかし、簡単に見つかるほど世の中は甘くはありません。そんなときに「ふと」あの家族のことを思い出したのです。そうは言いましても僕がその親子の話を聞いてから3~4年は過ぎていました。まだ働いているかどうかもわかりませんでしたが、「試しに」と思いかつて働いていた営業所へ赴きました。

社長は以前と変わらぬ感じで働いており、僕のお願いを嫌がるでもなく快く住所を教えてくれました。

教えられた住所に行きますと、そこは住宅とはいえ掘っ立て小屋のような感じの建物でした。家の中は6畳一間に小さな台所備わっているといった間取りでした。そこに親子5人で住んでいるようでした。親父さんは僕に驚いた様子でしたが、一応話は聞いてくれ息子さんに勧めてくれました。ですが、当の息子さんはあまり気乗りがしていないようでその日は返事をもらえずに引き返しました。

数日後、正式な返答をもらいに行きますと「話はなかったことにしてほしい」ということになったのですが、やはり息子さんが接客という仕事に抵抗があるようでした。息子さんは外見からして人と接するのが得意ではないような雰囲気の人です。

あとから考えてみますと、断ってもらって僕のほうとしても正解だったように思います。あのときは僕も余裕がありませんでしたので、とにかく誰でもいいから人手が欲しいと思っていたのですが、おそらく働き出しても長続きはしなかったように思います。僕のような小さなお店では接客が主な仕事になりますので息子さんでは無理があったはずです。

それにしてもドラマに出てきそうはご家族でした。あのおやじさんと奥さんはどう見ても二十歳以上は離れていそうでしたし、あの息子さんの下には小さなお子さんが二人一緒に暮らしていました。今から30年前の日本でしたが、珍しい環境に属する家族であったことは間違いありません。「大阪から夜逃げをしてきた」と聞いていましたが、もしかしたなら住民票もなかったのかもしれません。そういう背景もチリ紙交換という特殊な仕事に就いていた理由のように思います。

世の中には本当にいろいろな人がいるものだなぁっと実感した家族でした。

チリ紙交換という仕事はこのようにちょっと変わった経歴の持ち主が働く場所ですが、僕はそこで出会った大学出身の僕より3~4才年上の人と出会いました。次回はこの人について書きたいと思いますが、僕の中では「元祖!ベンチャー起業家」といえる人でした。







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