<善良な人>




前回、紹介しましたように僕が最初に配属されたお店は小さなお店ですので社員も多くはありません。しかもスーパーでの小さなお店というのは食品売り場が中心になりますから僕が配属された衣料品売り場はさらに人数が少なくなっています。その衣料品売り場にIさんという僕より4~5年ほど年長の先輩がいました。
普通、先輩と言いますと「年上面した」雰囲気の人がほとんどですが、Iさんはそういう雰囲気とは無縁の人でした。身長は僕よりも高かったのですが、やせぎすで神経質な感じは見せていましたが、他人を責めたり批判したりはしそうもない感じを出していました。簡単に言ってしまいますと、周りの人から「あまり仕事をしない(できない)」「頼りない人」というイメージを持たれている人でした。ですが、こういうタイプの人によくいるのですが、「人柄はよい」のです。「仕事をしない(できない)」と思われてしまうのは、僕からしますと「的外れ」が原因です。「要領が悪い」という言い方も当てはまると思いますが、結局は「仕事ができない」という評価をされる人ということになってしまいます。
このような人はいわゆる「仕事ができる人」からしますと、疎ましい存在であるのが普通です。「仕事ができる人」には、どうしてもテンポが遅いトロイ人と映るようです。実際に影で「あいつはダメだ」的なことを話しているのを耳にしたこともありました。そして、そのような人たちはIさんとは距離を置こうとしていました。同類と思われるのが嫌だったのかもしれません。
ですが、前回紹介しましたK係長はIさんのような人にも分け隔てなく普通に接していました。そいうところが、僕がK係長に対して好感を抱いていた理由でもありますが、K係長はIさんが「仕事ができる人」たちから孤立しないように配慮していたのが感じられました。
僕はIさんよりも数年後輩ですから、もちろん先輩として接していましたが、それ以前に悪い印象を持っていませんでした。どちらかと言いますと、好きなタイプの人でした。いつも笑顔で「おい、maruyama君」と冗談めいた命令口調で気軽にいろいろと話しかけてくれていたのですが、その笑顔に変な計算高さや狡賢さがない純粋なものを感じていました。
僕には「要領が悪い」は「コツコツ取り組んでいる」に、「トロイ」は「純粋」のように思えていました。簡単に言いますと「好き」だったわけですが、やはりこちらが「好き」と思っていますと、自然と伝わりますからお店の中で最も仲がよい人という関係になりました。
中には、「ああいう人とはあんまり仲良くしないほうがいいよ」ということを遠まわしにアドバイスする人もいましたが、男女に関係なく好きな人とは仲良くしたいと思うのは自然の道理です。しかも、衣料品売り場全体の責任者であるK係長が部下全員を「分け隔てなく」接する上司でしたのでIさんは表立って嫌がらせをされることもなく日々仕事をすることができていました。
僕はそのお店に1年しかいませんでしたのでIさんと一緒に働いていたのはその1年間だけです。ですが、40年近く経った今でも年賀状のやり取りは続いており近況を伝えあっています。
学校生活でも周りからなんとなく疎んじられていて浮いている存在という人がいましたが、Iさんはそのまま社会人になった感じです。僕の経験では、こういう人は生存競争が激しい仕事の世界では生きにくいように思います。僕が違う店に異動する送別会でK係長は僕に「maruyama君、Iのことは任せておいて」とわざわざ話してくれました。僕が一番仲がよかったので気にかけてくれたのだと思います。しかし、サラリーマンの世界では「ずっと面倒をみる」ことは不可能です。Iさんは数年後に退職していますが、Iさんのような人柄の人は企業という職場では好まれるタイプではありません。
「いい悪い」は別にしてビジネス社会では「前に前に」という姿勢の人が重んじられるものです。消極的な人は存在を認められないのが普通です。ですが、世の中には積極的にできない人がいても不思議ではありません。そして、得てして消極的な人というのは面倒なことや手のかかることを押し付けられる傾向があります。いわゆる「損な役回り」というものです。そして、悲しいことに「善良な人」に「損な役回り」が押し付けられることが多いように思います。
Iさんは、僕が社会人になって好きになった最初の人でした。







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