<40代半ばのパート男性>




前回、大学の下請け企業でのお話が一区切りがつきましたので、今後はどのように展開しようか決めかねていました。いろいろと考えた末に、どの職場ということにこだわらず、思いついたままにいろいろな人について綴りたいと思います。

まず今週はラーメン屋時代にパートさんとして働いていた男性について書きたいと思います。僕は浜田省吾さんが好きなのですが、最初に好きになったきっかけはメロディーです。やはり歌はメロディーが最初に心にひっかかるきっかけです。音楽というくらいですから、「音」が「楽しい」のが一番です。

浜田さんの歌を好きになったきっかけはメロディーでした。バラードな歌では心に染み入り、ハードな歌では心を揺さぶりました。ですが、幾度も聞いているうちに歌詞にも強い関心を持つようになりました。そして、歌詞をかみしめながら読みますと、魂に訴えかけるものを感じました。

浜田省吾さんの「君と歩いた道」という歌の歌詞には

「若すぎて思いやりもなく傷つけ 別れた人たち」

という一節があります。本日、紹介するSさんはまさしく僕がそのような接し方をした人かもしれません。

Sさんがアルバイト募集に応募してきたとき、僕は30代後半でSさんは40代半ばでした。今ですと、40代半ばで正社員ではなくアルバイトをしている人も珍しくありませんが、当時はあまり見かけない働き方でした。前職は自動車の整備士だったそうですが、ゆくゆくは奥さんの実家に戻るそうで、それまでのつなぎとして働くつもりだったようです。

理由はどうあれ、30才で独立した僕からしますと、40代半ばでアルバイトをしている人は「社会人または大人として今一つ」という思いもあったはずです。当時の僕がそこそこの稼ぎがあったことも関係していると思いますが、「自分のほうが偉い」と勘違いしていたと思います。

また、他人を雇用することの重大性にも気づいていませんでした。

ある日、朝早く来て事務作業をしていますと、出勤してきたSさんが神妙な面持ちで「あのう、昨日給料日だったんですけど…」というのです。言われて初めて、自分が給料を渡し忘れていることに気がつきました。もちろん、封筒に入れて名前を書いて用意はしていたのですが、渡すのをうっかり忘れていたのでした。

すぐに謝罪しながら渡したのですが、もし他人を雇っていることの重要性・重大性を認識していたならお給料を渡すことを忘れるはずはありません。普通の人はお給料で生活しているのですからあってはならないことです。僕は、それをやってしまいました。なんと情けない経営者でしょう。

Sさんとは二人きりで作業する時間もあり、いろいろな話をする機会がありましたが、年下の僕と話すのにはかなり気を使っていたと思います。当時僕は、年齢は下でも役職的には上でしたので偉そうに振舞っていたと思います。Sさんからしますと、不快に感じたこともままあったはずです。

結局、Sさんは約1年半くらい勤めた頃に、奥さんの実家(他県)に引っ越すという理由で退職しました。

Sさんが退職してから1年ほど経った頃、僕はSさんのことなどすっかり忘れていました。

仕事を終えて深夜に帰宅しますと、妻が

「ねぇ、Sさんって覚えてる? 今日電話があったの」

と話すのです。もちろん、覚えていましたが、突然のことですので訝しげな気分で話の続きを聞きました。

妻の話では、夜の10時くらいに「ちょっとお酒が入った感じ」で電話がかかってきたそうです。話の内容は、特段に不平不満の類ではなかったようですが、それでもお店で働いていた当時のことをいろいろと話してきたそうです。妻は一方的に聞くだけで、結局「10分くらいで切った」とのことでした。

ここから先は僕の想像ですが、年上の自分が生意気盛りの若造に偉そうに振舞われていた不快な思い出が蘇ってきて思わず電話をかけてよこしたのではないでしょうか。軽くお酒が入っていたそうですから、そんな感じかもしれません。もし、僕が在宅していたならどのような展開になっていたのでしょう。しかし、それ以降電話がかかってくることはありませんでした。

それはともかく、若さゆえに、自分では気づかずに相手を傷つけていたのは容易に想像がつきます。

僕は、浜田省吾さんの「君と歩いた道」を聞くたびにSさんを思い出します。

また来週。







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