<子供を危険に晒す人>




人通りの多い場所でお店を構えていますと、いろいろなお客さんが来ます。特に夕方は主婦の方がお買い物の帰りに寄ってくださったり、仕事帰りの人が男女にかかわらず立ち寄ってくださっていました。そういったときに気になることが一つありました。

それは小さなお子さんを自転車に乗せたお母さんの振る舞いです。コロッケを買うためには店先の近くに自転車を停める必要があります。当時のお店の前は広い空間がありましたたので停めるのは全く問題なかったのですが、お母さん方が子供をうしろの席に乗せたまま自転車を離れるのです。もしなにかの拍子に自転車が倒れたなら、間違いなく大けがをします。

しかし、不思議なことに結構な割合で子供を自転車に乗せたまま店先に来るお母さんがいました。そういったお母さん方は、自転車が倒れるという発想がないようで自転車に乗せたお子さんを気にすることもなく自転車から離れて店先にやってきました。見ているこちらのほうが心配になりますので、できるだけ声をかけるようにしていました。

最初に構えた場所は店の前が広く、歩道と車道が明確に分かれていましたから最悪自転車が倒れてもお子さんが道路に身体をぶつけるだけのケガで済みます。しかし、2回目に構えたお店の場所は危険がいっぱいでした。理由は、店の前がすぐに道路だったからです。しかも歩道と車道の区別がない道路でしたので倒れてしまったなら車に轢かれる可能性があります。それほどとても危険な場所でした。

それでも驚くことに自転車にお子さんを乗せたまま自転車から離れるお母さんがいたのです。僕は自転車にお子さんを乗せたお母さんが来るたびに心臓がドキドキしていました。ですので、そこでは「できるだけ」ではなく「かならず」声をかけるようにしていました。

そうした状況を見ていて僕はとても不思議でなりませんでした。言うまでもなくお母さん方はれっきとした大人です。その立派な大人が「子供を危険な目に合わせている」という想像力が働いていないのです。しかし、思い返してみますと僕も全く同じでした。

あれは娘が3~4才の頃です。当時、平屋の狭い借家に住んでいたのですが、家のドアは道路から3メートルくらい奥まったところにありました。家の前は車が一台通れるくらいの狭い道路で向かい側には林が茂っていました。そして、家の玄関から道路に出た向かい側に大きな丸太が置いてあったのですが、それは座るのにはちょうどよい大きさでした。

ある日、家族で出かけることになっていたときのお話です。準備を終えた僕は先に家の外に出て道路を挟んだ向かいの丸太に座っていました。すると、玄関から出てきた娘は僕が座っているのを見つけると笑顔で僕に向かって走ってきたのです。そのときです。右側から走ってきた車が急ブレーキをかけて止まりました。運よく運転手さんが早めに娘に気づいてくれましたので事なきを得たのですが、一つ間違えていたなら娘は轢かれていたかもしれません。それほど逼迫した状況でした。

娘も驚いてうしろに倒れこんでしまいました。車はそのまま走り去って行ったのですが、今回の危険な出来事は完璧に僕の過ちです。あの年齢の子供が父親を見つけたならら一目散に走り寄ってくるのは当然です。そのことを想像できなかった僕の父親としても自覚のなさに原因があります。僕は今でもあのときの光景が目に浮かびますが、そのたびに冷や汗をかいています。

僕は小さな子供を自転車に乗せたまま自転車から離れるお母さんを見るたびに自分の「父親としての資格のなさ」を思い出していました。

今週の「あんな人」は「昔の自分」でした。

また来週。







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