<チリ紙交換というお仕事>




僕は結局、スーパーに約3年勤めたのですが、「若気の至り」と言ってしまえばそれですが、世間知らずの若造が独立の道を進むことを決めました。僕は人と競争することや比べられることに対して「なんか納得できないもの」を感じていましたが、見方を変えるなら「協調性がない」ということでもあります。どちらにしても、僕はほかの人とは考え方が違うなという思いをずっと持っていました。

僕は社会人2年目に結婚していますが、結婚式を挙げるつもりもありませんでした。ですが、親の達てのお願いで一応形だけ挙げることにしました。結婚なんて、うまくいくかどうかなんて「人生の終りにしかわからない」と思っていましたので、結婚のはじまりを大々的に祝うことに意味がないと思っていました。ですから、僕の結婚式および披露宴は区民会館で本当に質素に行いました。これまでにいろいろな結婚式や披露宴に出ていますが、僕よりも地味な式や披露宴に出会ったことがありません。

それはともかく最初に独立の道を探ったのは呉服商売でしたが、これは僅か半年で破たんしています。まさに「若気の至り」を証明した結果となりましたが、会社員に戻ることなど考えもせずゼロから仕事をやり直すことにしました。そして、選んだのが「チリ紙交換」という仕事です。

「チリ紙交換」を選んだ理由は、呉服の仕事で車を運転しているときにたまたま大きな看板で「交換員募集」の文字を見かけたからです。しかも、当時で日給1万2千円と書いてありました。今から35年前の金額ですからかなりの高額です。当時は大卒の初任給が14~15万円でしたから高額ぶりがお分かりになると思います。もちろん交換員は社員という扱いではなく下請けという身分でしたが、会社員になる気持ちなどありませんでしたから全く問題ありませんでした。

そして、いざ始めてみますと看板通りにはいきませんでした。どんなこともそうですが、広告のとおりに行くことは稀です。僕も当初から1万2千円もらえるとは思っていませんでしたがら、それでも3割くらい差し引いた9千円くらいは行くのではないかと思っていました。しかし、初日は3千円でした。

今の若い人はご存知ないかもしれませんが、チリ紙交換は今で言うところの廃品回収業のようなものです。軽トラックで街中をゆっくりと走って「要らなくなったものを回収」している業者がいますが、その古新聞版です。今は古新聞は町内会や学校など地域で集めるやり方が主流ですが、当時はそのようなシステムができていませんでしたので古新聞の回収は好意的に見られていました。

話は少し逸れますが、今街中を回収している廃品回収業者には廃品を回収する際にお金を取りますがたまに悪辣業者がいますので注意が必要です。悪辣業者はお金をもらっても正常に処分しているのではなく山中などに違法廃棄しています。一般の人は善良業者と悪辣業者を見分けることは不可能ですので廃品の処分は公的な組織を利用するのが賢明です。

話を元に戻しますと、チリ紙交換は古新聞を回収する際にトイレットペーパーを渡していました。トイレットペーパーと交換するから「チリ紙交換」です。交換員は回収した古新聞を業者に買い取ってもらい報酬を受け取るシステムです。ですから、回収する量が多ければ多いほど報酬は多くなることになります。この仕事は約1年やりましたが、慣れてきてからは平均して1日7千円~8千円だったと記憶しています。多いときは1万円を超えることもありましたので「まぁまぁ」の仕事だったとも言えます。

さて、前置きが長くなりましたが、僕はこの業者で大阪から夜逃げをしてきた家族を知ることになります。

そのお話は次回です。







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